「赤い空 銀の鱗」 ![]() ![]() ![]() ![]() * 第一章 閉じた窓 * “あの空の色を、僕は決して忘れない。” 吹き抜けになった公会堂の床に膝を抱えて座り込み、僕ははるか頭上をじっと見上げていた。 ごつごつした鉄骨がむき出しになったままの天井は、この建物の工事がいかに急速度で進められたかを物語っている。実際、僕たちが今いるこのドームは、その尋常でない巨大さにも関わらず、わずか数ヶ月の突貫工事で創り上げられたものだった。完成したのは、僕が十歳になった冬のことだ。建設の総指揮をとっていた父の帰りが毎日遅く、また朝は僕が起き出す前に出勤するため、いつもいつも朝食のテーブルに僕宛の手紙が置いてあったことを憶えている。毎年、何があっても家族揃って祝うことになっていた僕の誕生日も、あの年は母とふたりで過ごしたのだった。僕が今眺めている丸天井に取り付けられた特注の明り取り窓用ガラスの納入が遅れ、作業が滞ってしまったのがその原因だったらしい。翌日、父からの手紙にはそう書いてあった。 思い返せば、父の手紙にはいつも工事の進行具合が事細かに記してあった。今日は地下五階部の壁が出来上った、だとか、今日は空調設備のテストを行った、だとか、今日は警報装置を取り付けた、だとか。もちろん、子どもの僕には建設工事の重要性などまるで分かっていなかったのだから、父の微に入り細に渡る報告もほとんど意味を成さなかった。しかし、大人たちにとっては随分と重大なものに見えたらしい。このドームに避難して来た時、父からの手紙は「最重要機密」だからという理由で全て司令官に没収されてしまった。僕はさんざん泣いたりわめいたりして抗議したのだが、司令官はただただ無表情で首を横に振るばかりだった。 あの手紙はどうなったのだろう。できれば取り戻したいと思う。けれど、恐らくはとっくの昔に焼却処分されてしまったに違いない。 父の行方が分からなくなってしまった今、あの手紙は僕にとって父の記憶を辿ることのできる唯一のものだった。他のもの……誕生日にもらった小型ラジオだとか、参観日にふたりで一緒に作ったシャトル模型だとか……は、全て僕たちが住んでいた家に置いてきてしまった。避難命令があまりに急だったため、ほとんど何も持ち出すことが出来なかったのだ。僕がずっと世話をしてきたオウムのカリナも、ペット厳禁のドームに連れていくことは不可能だったため、家を出るときに籠から放してしまった。これから何が起こるにしろ、誰もいない家でひとりそれを見守るのは耐えられないだろうと思ったからだ。カリナは、人の言葉をよく憶える賢い鳥だった。きっと、僕たちがいなくなっても何とか生き延びてくれるだろう。 突然、僕の背後でバタンとドアが開く音がした。 「淕! 授業にも出ないでこんなところで何してるのよ? もう、あんたって子は」 僕は思わず大きくため息をついた。よりによって悠に見つかるなんて。この後、半時間は小言を聞かされるに違いない。 「さ、早く戻るわよ。みんなあんたのことを探してるんだから」 「探してくれなんて頼んだ憶えはないよ」 言い返してから即座に後悔した。悠に口答えなどしたら、何を言われるか分かったもんじゃない。これで一時間は解放してもらえないことを覚悟しなければならない。しかし、意外にも悠は僕の頭を軽く小突いただけで、あとは何も言わなかった。どうしたというんだろう? 恐る恐る悠の顔を見上げると、彼女はにっこりとして言った。 「そんなこと言うんだったら、今日の淕の晩御飯はデザート抜きにしてもらうわよ」 「別にそんなの大したことじゃないよ。勝手にすればいい」 すると悠はますますにっこりとした。僕の耳元に口を寄せ、思わせぶりに囁いてくる。 「本当にそれでいいの? 今日は杏のプリンがあるんだけど、それって淕の大好物じゃなかったっけ?」 僕は小さくあっと声をあげた。杏のプリンは母お得意のお菓子だった。ということは、今夜の夕食当番は僕たちの住んでいた区画の母親たちだということだ。慌てて立ち上がると、悠は可笑しそうな笑い声をあげた。 「まったく。口だけは達者になったけれど、まだまだ子どもねえ」 「なんだよ。悠だって、まだまだ子どもじゃないか。僕よりちょっと年上だってだけで」 なんとなくきまりが悪くなってつっけんどんに言い返すと、悠は少し怖い顔をしてみせた。 「淕。そんなこと言ったら本当にデザート抜きにするわよ」 僕は肩をすくめた。悠にやりこめられるのは気に喰わないけれど、そんなことで今夜の機会をふいにするわけにはいかない。何しろ、僕たち子どもにとって、夕食当番は母親たちに会える数少ないチャンスなのだから。僕だって、やっぱり母さんに会いたい。ここは、意地を張っている場合ではないだろう。 悠と並んで歩き出しながら、僕はふと気になって彼女に尋ねてみた。 「悠。悠もやっぱりおばさんに会いたいの?」 「当たり前でしょう? お母さんに会いたくない子どもがどこにいるっていうのよ」 悠の答えに、僕はなんとなく安心した。そうか、悠も同じことを考えているんだ。僕だけが、年不相応に子どもっぽいというわけではなかったのだ。 食堂のドアを開けると、そこにはもうたくさんの子どもたちが集まっていた。騒々しい歓声と、暖かい湯気と、かちゃかちゃと食器が鳴る音の向こうに、忙しく動き回る母親たちの姿があった。その中に、見覚えのある青白ストライプのエプロンを見つけた。食堂の入り口に立っている僕たちに気づいたのか、手を振りながら小走りでこちらにやってくる。 僕の母さんだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ←戻る 進む→ 創作品へ 入り口へ |