「イミテーションゴールド」



 * 北へ向かう、太陽へ告ぐ *

 北へ行こうと思っていた。ひたすらに寒い町へ、冬になれば雪に閉ざされてしまうような街へ、行こうと思っていた。

 「楽屋」と呼ばれる俺たちの仕事場には、この建物の支配人お手製の発電機が何台も置いてある。俺も含め、同じ位の年恰好の若者たちが数人、毎日汗だくになって、その発電機に取り付けられたハンドルを回し続けているのだ。
「よう、あと五分で交代だ。もうしばらく、踏ん張ってくれよ」
 陽気な声と共に、冷たいタオルが放り投げられてきた。皆、声の主である支配人へそれぞれ黙って目礼して、そのまま仕事に戻る。いかに若くて体力のある従業員ばかりを揃えているといっても、挨拶をする余裕までは、誰も持ち合わせていないのだ。特に、交代の近付く一番過酷な時間には。支配人も気にする風なく、お疲れさん、と軽く声をかけて去っていった。

 あてのない闇雲な北進の果て、俺が辿り着いたのは、どこもかしこもくすんだ色合いをした小さな町だった。半分剥げ落ちたポスターも、枯れかけた並木も、一旦洗いざらしたように色褪せて見える。
 お世辞にも、面白みのある町だとは言えない。ただ、陰鬱な曇り空が良く似合っていた。雪の季節になれば、住人たちは一冬分の食料とともに、まるで冬眠のような暮らしを送るという。雲間から申し訳無さそうに照らす太陽に、居丈高なところは微塵もなく、それがなによりも俺の心を惹いた。

「この町は、いいところだぞ。穏やかで、静かでな。でもただひとつ、俺には気に入らないことがある。この町には、本物の夏がない」
 新入りの俺に一通り仕事内容を説明した後、支配人は鹿爪らしい顔で語り出したものだ。
「俺がこの建物を造ったのは、それが理由だ。この町の子どもたちに、たとえ作り物とはいえ、本物に近い夏を知って欲しくてな。……恐らく、お前さんももう分かってるだろうが、ここでの仕事はけっして楽じゃない。むしろ、相当に厳しいと言っておいた方がいいだろうな。その代わり、給料はいいぞ。労働力に見合った分の報酬は、保証する。でもな、金のことだけじゃなく、こう考えてみてくれないか。お前さんたちが汗水垂らして働くことで、この町の子どもたちに夏をプレゼントすることができるんだ、とな。お前さんも、あの子たちの楽しそうな顔を見ただろ? あの笑顔をもたらしたのが自分たちなんだって思ったら、どうだい、少々の辛さ苦しさなんて吹っ飛んじまうってもんじゃないか」
 発電機の重いハンドルを三十分交代で回し続け、夏を演出する。つまりそれが、今の俺に与えられた仕事なのだった。

 俺たちの働くこの建物は、いわば子ども用の室内プールである。もともとは、閉鎖された缶詰工場だったものを、支配人が買い取って改築したのだということだ。
 建物の中は、いつでもうすぼんやりと暗い外とは違い、目が眩むほどに明るい光と熱気が満ちている。まるで、ここだけ別の季節がやって来たかのように。高い天井を見上げれば、その理由は一目で分かる。そこには、遥か下から見上げていても尚、化け物じみた大きさを誇る、巨大なライトが取り付けられているのだ。
「どうだい、なかなか立派なもんだろ」
 自分の作品を眺める度、支配人は厳つい顔立ちからは思いがけない、無邪気と言っていいような笑みを浮かべる。
「あれが、俺の作った太陽だ」
 そして、支配人は満足げな視線を建物中央に設えられたプールへと向ける。夏休み中なのだろう、どこを見渡しても、屈託無い笑顔ではしゃぎまわる子どもたちが溢れている。どうだい、と分厚い顎を頷かせつつ、支配人は一層誇らしそうな表情になる。
「あれが、俺の作った夏だ」
 熱のこもった支配人の言葉に頷きつつ、それでも俺は自分の心のどこかが小さく反発するのを感じていた。その正体がなんなのか、その時はまだ、分からなかった。

 時々、思うことがある。故郷の家族が、今の俺の仕事を知ったら、なんていうだろうか。「俺は今、北の町で、太陽を作っています」……。そんなことを伝えたら、彼らはどう思うのだろう。やりがいのある仕事を見つけたようだ、と喜んでくれるだろうか。いや……。少なくとも祖父は、鼻で笑い飛ばすだろう。そんなもの、どうせまがいもんじゃないか、と。

 勤勉に働く者には暇がない、遊んで暮らす者には金がない。酒が入って少々機嫌が良くなると、祖父は口癖のようにそう言った。節くれだった皺だらけの手は、昔のように力強くはないが、それでも未だ自信に満ち溢れているように見えた。
 いいか、勤勉に働く者には暇がない、遊んで暮らす者には金がない。酔いが回ると、同じ台詞を飽かず何度も繰り返した。そして、最後には必ずこう付け足すのだ。俺を、老いてもなお刺すように鋭い目で見据えて。「中途半端な者は、ろくでもない」……。

 太陽に追われない場所へ行きたかった。何も見逃すまいと見開いた瞳のような太陽から逃れられるところへ、行きたかった。
 だというのに、俺はこうして、北の町で偽物の太陽を輝かせるため、毎日懸命に働いているのだ。

 プールサイドの片隅におかれたおんぼろのレコードプレーヤーからは、割れた音で一昔前の流行歌が流れていた。「さすらい続けてここまで来たが、煙草の煙に思い出すのは、故郷の不味いコーヒーと、あの子の揺れるポニーテール」……。しゃがれた声で歌う他愛のない歌詞は、けれど決して不快ではない。
 一仕事終えて、冷たいコーラを片手に、自分たちの作る「夏」を見下ろす。この時間が、俺は好きだ。眼下では、浮き輪やビーチボールを抱えた子どもたちの、からりと底抜けに明るい歓声が弾けている。
 どうだ、俺たちの作った太陽は。はしゃぎ回る子どもたちを眺めつつ、声には出さずに俺は呟いてみた。夏っていうのは、こんな風に、とことん暑くてとことん眩しいもんなんだ。でも、な。いつかと同じ、小さな反抗心に駆られ、俺はそう付け加えずにはいられなかった。でもな、俺の町には、俺の生まれ育ったあの町には、本物の夏があるんだ。こんな代用品じゃない、本物の太陽が、あるんだ。
 そんなことを自慢げに考えた自分が、癪に障るようで、それでもどこかくすぐったいようで、俺は温くなってしまったコーラを、誤魔化すように一気に飲み干した。



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