「一粒の海に沈むものは」



* 4 *

 この星の空に生れ落ちた日のことを、彼女はぼんやりと覚えている。
 あれは、きんと痛いほどに空気の澄み切った、寒い夜だった。冴え渡る空に、細かいビーズのような星が無数にきらめいているのが、閉じたままの瞼越しに透けて見えた。ここはどんな場所なんだろう。目を開けた瞬間、視界がわずかにぶれたような、体が二重写しになったような、そんな錯覚に陥った。
 数度瞬いて、彼女は目を見張る。なんて綺麗なところに自分はやってきたのだろう。そして同時に、無限に広がるかのような暗黒を目にし、なんて冷たいところなんだろうと、息苦しいような寂しさも感じた。これから私は、ずっとひとりでこの闇に浮かんでいないといけないのかしら。
“私はひとりぼっちなの?”
 思わず漏れた弱気な呟きに、同じ声が重なって聞こえた。驚いて見やった先には、もうひとりの少女が同じく不安げな眼差しでこちらを見つめていた。
“私はひとりじゃないの?”
 確かめ合うようにもう一度呟いて、ふたりは、相手の瞳に映りこむ自分の姿を凝視する。そして、相手の目に映る自分と、自分の目に映る相手とが、まるで同じ姿をしていることを知った。銀色の瞳に、蜜色の髪。
 その時、わぁぁぁ、と湧き上がるような歓声が聞こえた。
“我らの月だ! 我らの姫が誕生した!”
“双子の月だ。なんてめでたいことだろう”
“我らの姫に祝福あれ!”
 口々に彼女たちを称える声が上がる。ふたりは再び顔を見合わせた。
“ひとりじゃないわ”
“ひとりじゃないのね”
 私たちの誕生を、あんなにも喜んでくれるひとたちがいる。そしてなにより、私にはあなたが、あなたには私がいる。
 さっきまでの不安は、すっかり消し飛んでいた。幼い月たちは、くつくつと笑った。


 錆付いて劣化したスコップは、固い土壌を掘り起こすにはあまり向いていない。少しずつ少しずつ、岩を侵食する波のような根気強さで、彼は乾いた地面を削り取っていく。気が遠くなるような時間と、忍耐力を必要とする仕事である。しかし、彼は単純労働に慣れたロボットだったので、仕事自体にさほど苦痛は感じていなかった。
 かつん、とスコップの先がなにか異質なものにぶつかった音がした。彼はそろそろとしゃがみこみ、指先で音の在り処を探る。石のように硬くなった地面から顔を出したのは、光沢のある黄金色をした、透明な石だった。少女の髪と、同じ色だ。
 彼はそれを大事に掘り起こし、バケツの底にしまい込んだ。このところ、塞ぎ込みがちだった彼女も、もしかしたら喜んでくれるかもしれない。いつの間にか、皮肉なせせら笑いの他に笑顔を見せることのなくなった彼女。口を開けば、辛辣な言葉ばかりを吐くようになった彼女。一体、かつての彼女はどこへ行ってしまったのだろう? 無邪気で愛らしい、この星の姫君。
 まだ日は高い。夕暮れまでに、もうひと仕事終えなければならない。彼は、放り出しておいたスコップを拾い上げ、再び地面に突き立て始めた。以前は、色とりどりの宝石が貝塚の如く埋まっていたものだが、あらゆる星々から押しかけた人々にあらかた掘り尽されてしまった今では、小さなかけらさえ見つけることは至難のわざだ。毎日毎日、月のもとに出かける時間を除いて休み無く掘り続けても、一日に見つかる石はほんの一握りほどだった。
 その石を選別し、形の悪いものを、彼はスコップの先で細かく砕く。大きめの砂利ほどになったそれを、最も高い化石樹のところまで運ぶ。この化石樹は、葉こそ全て失われているとはいえ、どっしりとした枝ぶりもそのままに残された唯一の樹だ。
 黒光りする幹の根元には、ぽっかりと穴が開いている。覗き込んでもまるで底が見えない、深い深い穴だ。彼は、細かい宝石の粒をしゃらしゃらと穴の中に注ぎ込む。耳を澄ましてみても、時折吹き抜ける風の音以外は、何も聞こえない。この穴の向こうでは空間が奇妙にねじれ、ここに投げ込まれたものは地中深くではなく、この星の外へと飛び出していってしまうのだという。
 ふと気付けば、辺りは薄暗くなり始めていた。空を見上げると、白みがかった三日月がもう姿を見せている。今日は、この辺りで終わりにしよう。早く、月にあの石を見せてあげたい。傍らに置いた蜂蜜色の石を拾い上げた彼は、ややあって思い直し、再びそれを地面に戻した。いや、やはりもう少し待とう。もう少し待てば……。
 そこまで考えて、彼は軽く首を横に振った。



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