「一粒の海に沈むものは」 ![]() ![]() ![]() ![]() * 5 * 今夜もまた、耳慣れた音が近づいてくる。がしゃり、がしゃりと鉄屑の積もった斜面を登る音だ。彼女は船の縁に頬杖をつき、試みに目を閉じてみる。こうしていても、彼が今、山のどの辺りを歩いているのか、手に取るように分かる。もう数え切れないくらい、繰り返してきた習慣だからだ。 かしゃり、とすぐ側で軽い足音が聞こえた。目を開けると、小首を傾げるようにしながら、彼が立っていた。 「ずいぶん遅いのね、今日は」 「お待たせしてしまいましたか?」 「……別に。いつもより早く目が覚めただけよ。あなたを待ってたわけじゃない」 出来得る限り素っ気無く答えると、彼は目元だけをほのかにほころばせ、柔和な笑顔を見せた。まるで、気を引こうと駄々をこねる幼子を見守る母親のような笑みだった。彼は、そんな顔をすることができるのだ。製造番号FC−001003、最初期型採掘用人型作業補助機、そんな無機的な名前しか持たない彼が。 「……造り物のくせに」 呟いた言葉は、彼にも届いただろうか。即座に顔を背けてしまったので、彼の表情を確かめることはできなかった。きっと、聞こえただろうと思う。ならば、彼はいつものように悲しげな目をしているだろう。あらゆる感情を物語る彼の瞳は、人よりもひとらしい。 彼ら、宝石採掘のために開発されたロボットたちはみな、人間とほとんど変わりない姿をしている。人間よりも頭一つ高い背丈と、音声に時折混じる細かい雑音とを除けば、彼らが造られた存在であることを示す証しはない。 とりわけ、最初期型の生き残りである彼は、生身の人間と見紛うばかりの繊細な仕草を見せる。製作者である女性科学者が、彼女の協力者をモデルにして設計したという最初期型は、端正な顔立ちと均整のとれたフォルムを有し、この星で製造された中でも最も美しいロボットであるとの呼び声が高かった。その後、数多く造られた新しいモデルとは、まるで比べ物にならないほどだ。「道具」に美しさや人間らしさなど必要ない、下手に情が移れば作業の支障ともなりかねない、効率こそ最重要だ……。作業能率のみを追求して「改良」が施された後期型は、もはやただ人に似た形をしているというだけの、鉄の塊と化していった。 そのなれの果てが、この山だ。彼女は、苦笑とも嘲笑とも、また哀れみともつかぬ感情に、知らず唇を歪めた。自分が毎夜、踏みしめている鉄屑が、かつての仲間たちであると知ったら、彼はどう思うのだろう。やはり、悲しむのだろうか。それとも、怒りを覚えるのだろうか。 こっそり盗み見た彼の瞳は、普段と変わらぬ静かな光を湛えていた。最初期型の瞳としてはめ込まれた黒水晶には、配置される採掘現場の判別用に、それぞれ異なる色が塗られていた。彼の瞳も、かつては翡翠のような色をしていたが、今では塗料も剥げ落ち、もとの黒が覗いている。 どうして、と彼女は思う。どうして、わざわざ余計な色を重ねたりしたのだろう。漆黒の瞳の方が、彼の相貌にはよく似合っている。この方が、よほど綺麗なのに……。 「FC−006032」 「……え?」 突然、彼が口走った言葉の内容に、彼女はぎょっとして体を強張らせた。彼は、なにか深く考え沈んでいる風情で、足元の地面に視線を落としている。彼女の内心の動揺には、気付かなかったようだった。 「ここに、そう彫り込んであります」 片手に下げた古びたバケツの中から取り出した薄い石版を、彼は手のひらに載せて差し出した。元は楕円形をしていたのだろうが、真中辺りで真っ二つに割れてしまっている。その表面には、磨耗して読み取りにくくなってはいるものの、確かに彼が読み上げた製造番号が刻まれていた。 「……それが」 彼女は、密かに彼の反応を伺いながら、慎重に問い返した。 「それが何なのか、あなたには分かるの?」 彼は、ゆっくりと首を横に振った。その答えに、思わず安心している自分に気付いて、彼女は軽く唇を噛んだ。 「わたしには、分かりません。しかし……」 困惑したような表情を浮かべて、彼は目を上げ、彼女を見た。 「知っていなくていけない事柄だったような気もするんです。わたしが、覚えていなくてはいけないことだったような……。そんな、焦りのような思いが、日々強くなる。……あなたには、分かるのですか? この、わたしが見つけたものの正体も、そこから感じ取るものの意味も、あなたならば……」 「知らないわよ、そんなもの」 遮るように投げかけた言葉は、必要以上に冷たく響いた。そうですか、と彼はわずかに落胆したように目を伏せると、彼女に背を向け、地面に腰を下ろした。なおもしばらく彼の背中を眉を顰めて見守っていた彼女は、ややあって肩の力を抜いた。どうやら今回もまた、彼は彼女の嘘を看破できなかったようだ。恐らく、彼はあまりにも善良に造られているのだろう。それも当然だった。人間たちが、彼らに自分たちを疑う思考回路を組み込んだはずがない。彼女は、気取られないように小さく息を吐いた。 いっそ全て話してしまえばと、そう思わないこともなかった。何もかも話して、彼が思い出してくれたならば。そうしたら、もうこんな風に、ひとり忌まわしい記憶に怯えることもなくなるのだ。しかし、彼女は知っていた。自分は決して、彼が失った過去を取り戻す手助けなどしない。それどころか、さっきのように甦りかけた彼の記憶を無理矢理封じ込めるような真似を、これからも繰り返すだろう。今までそうしてきたように。何故ならば、自分は彼が全てを悟るその時を恐れているからだ。彼が自分とこの痛みを分け合ってくれたらと願う、その想いを打ち消して余りあるほどに強く、恐れているからだ。 もし、「それ」を思い出せば、彼とてこの自分を断じて許しはしないだろう。そうなれば、自分はこの星に、たったひとり取り残されることになる。唯一の同胞をも失い、死に絶えたこの星で、永遠の虜囚として、いつ終わるとも知れない罰を負って……。 「……ねえ」 込み上げる恐怖に耐えかねて、彼女はうわずった声を上げた。なんです、と振り返る彼はどこまでも穏やかな目をしていて、彼女は一瞬継ぐ言葉も見失うほど安堵した。彼はまだここにいる。今はまだ、ここにいるのだ。 「どうかしましたか?」 呼びかけたまま沈黙した彼女に、彼は気遣わしげな声音になる。 「なんでもないわ。……そう、何か話をして」 分かりました、と微笑んで、彼は考え込んだ。しばし間を置いて、低く温かな声で、彼は語り始める。子守唄にも似たその響きは、耳を伝って体の隅々まで染み渡り、やがて心の奥底で溶けていくように、彼女には思えた。この安らかさが、自分には必要なのだ。寒くもないというのに小刻みに震える指先を固く組み合わせて、彼女は抱え込んだ膝に顔を埋めた。彼がここにいるという確信が、自分には必要なのだ。どうしても、必要なのだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ←戻る 進む→ 創作品へ 入り口へ |