「贋作 小さい秋見つけた」



* 2 *

 風見鶏の言葉は、これ以上ないほどに正しかった。
 かの風読みが鎮座ましましていたところ―つまり私の着地点は、背の高い書棚の上などという、不便極まる場所だったのである。不吉な色を呈し始めた雲を眺めながら書棚を降りる私の胸には、一種悲壮な覚悟すら宿っていた。ここで大人しく待て、などと簡単に言ってくれたものだが、私のような小さき者が身を守るのは、風読みが思っている以上に困難なことなのである。幸い、雑多な品々が溢れた屋根裏部屋の床は、身を隠せそうな場所には事欠かなかった。
 なるべく頑丈そうな木箱の隅に落ち着くや否や、ただでさえ明るいとはお世辞にも言えなかった室内が見る見る内に暗くなり、凶暴な音を立てて猛烈な風雨が襲った。嵐がやって来たのだ。狼の咆哮のような風音が、百舌の口笛程度に収まるまで、私はただただ身を竦めているしかなかった。
 窓から差し込む頼りない陽光が柔かさを取り戻した頃、私は精魂尽き果てた思いでよろよろと隠れ家を這い出した。とりあえず、危機を知らせてくれた風読みに挨拶でもするかと書棚まで辿り着くと、嵐の名残だろうか、一冊の本が頁を開けた姿で転がっていた。何気なく覗き込むと、そこには妙に鼻の伸びた人形が描かれている。
「おう、十二世。生きておったか」
 腹立たしいほどに悠々とした声が降ってくる。私はあえて何も答えず、書棚を上り始めた。やっと風読みの足元まで到達するなり、私は憮然として抗議した。
「何度間違えれば気が済む? 私は十九世だ」
「ほう、そうだったか? しかし、昨日も言ったと思うが、お前が何世だろうが何代目だろうが、そんなことはどうでも良い」
「私には、どうでも良くはない。……しかしまあ、大風の予報が的中したことに免じて、今回は許してやろう。それにしても、凄まじい風だったな。生きた心地もしなかった」
「ふん、わしの言った通りだったろう? 年寄りには従うもんだぞ」
 風見鶏の軽口を聞き逃しつつ、私は書棚の端まで歩み寄り、身を乗り出した。さっきの本は、同じ頁をこちらに向けたまま、半分割れた窓ガラスから吹き込む風にかさかさと乾いた音を立てていた。
「おい、風読みよ。あそこに落っこちている本が見えるか?」
「ああ、見えるとも。お前とは違って、わしの目は性能が良いからな」
「じゃあ、あの鼻の長い人形が一体何なのか、知っているか?」
「なんじゃ、お前は知らんのか。これはな、嘘を吐くと鼻が伸びてしまうという、摩訶不思議な木人形だ。お前も気を付けるが良いぞ。あんまり減らず口ばかり叩きおると、ろくなことにはならん。おお、そうだ。よりによってこの本が落ちたというのは、お前への忠告かもしれんぞ。まあ、お前には伸びる鼻なぞないからな、その心配はしなくても良かろうが」
 抗議しようとした私は、続く風読みの言葉に、不覚にも興味を惹かれて開きかけた口を閉じてしまった。
「そういえば、わしも昔、奇妙な人形に出会ったことがある。どうだ、話してやろうか?」
 聞きたい、と答えるのはあまりにも癪だったので、私は黙ったまま先を促した。

「この屋敷のすぐ近くに、小さな玩具屋があってな。そこの、工房になっている北向きの部屋の窓辺に、いつも同じ人形が座っていた。ちょうどその本に出てくるような木製の人形だったんだが、手足ばかりがひょろりと長くてな。しかも、ちょっと首を傾げたような格好になっているせいか、どうにもやぶにらみの、どこかうつろな目つきをしておる。その上、えらく大きな、身に合わない服を着せられていてな。お世辞にも、可愛いだとか愛嬌があるだとかいう言葉が似合う人形ではなかった。通りに面した窓にいつも置いてあったんだ、主人には何かしら思い入れがあったのだろうが。
 しかし、そんな人目につく場所に置かれていたのは、その人形にとっては不幸なことだった。なにせ、来る日も来る日も通りかかる人々に不恰好だの不出来だのと言われ続けておったんだ。たまったものではなかったろう。
 特に、子どもらは容赦がなかった。通りすがりにらくがきをされたりだの、小突かれたりだの、まあ散々な目に遭わされておった。むろん、玩具屋の主に見つかれば大目玉だ。しかし、それが余計に子どもらの気を惹いてしまう結果となったらしい。一種の度胸試しだな。そんなせいで、わしはその人形のことを密かに気に懸けておった。しかしまあ、気になるからといって、屋根の上からではどうすることもできんがな。
 かの人形は昼も夜もなくずっと窓辺に座っておった。工房の主は、どうやら勤勉なお人のようでな、日付が変わってもまだ灯りが消えないことが多かった。辺りが暗くなると窓にカーテンが引かれて、そこに電灯の光を受けた人形の影が映るわけだが……。
 ……ああ、それにしても。今日は良い天気だな。嵐の後の静けさとは、よく言ったもんだ。なあ、お前もそう思わんか、十七世よ? ……ふん、なんだ、短い足をじたばたさせおって。なんでもない、だと? それでは、もうしばらく天気の話でもするか。今年は、紅葉が見事だな。この嵐で大分散ってしまったかもしれんが。……ふん、続きが気になるならば、素直にそう言え。お前は、聞き手としての作法がなっとらんぞ。
 それで、だ。ある時、わしは妙なことに気付いた。夜、カーテンに映る人形のシルエットに、なにやら羽のようなものが生えておったんだ。はて、別の人形でも置かれたのかと思ったが、朝になってみればそこにいるのはやはりいつもの人形だ。そんなことが、幾晩も幾晩も続いた。ある晩には、ウサギの耳のようなものが生えておった。また別の晩には、フランス人形のような巻き毛を頭に乗せていた。しかし、夜が明けてカーテンが引かれると、件の人形には何の変化もない。いや、さすがのわしも、自分の目に自信をなくしたものよ。耄碌して、幻覚でも見るようになったかとな。
 しかし、だ。人形の七変化を毎晩見守る内、わしの心の内にはある考えが浮かんだ。あの、カーテンに描き出される姿は、人形の願いが投影されたものなんじゃないか、とな。むろん、これはわしの勝手な推測に過ぎぬ。人形の胸の内など、誰にも分からんからな。だがわしには、好かれたい、気に入られたい、その一心で、あの人形は自分の影を様々に変化させておったんじゃないかと、そう思えてならなんだ。もしもこんな姿でなければ、もっと別の姿で生まれてきていれば、可愛い人形よ愛らしいことよと、優しい言葉をかけてもらえるんじゃないかと、そんな風に思っておったんじゃないか、とな。だとすれば、なあ十八世よ。あまりにも、哀れだとは思わんか……。
 その後しばらくすると、子どもらも興味をなくしたか、人形が心無い仕打ちを受けることは、ぱったりとなくなった。しかし、ある日のことだ。わしがちょいとそっぽを向いた隙に、どこぞの悪戯者が通りかかったようでな、人形の顔に、新しくらくがきがされていた。人形の、右目の下あたりにな、小さな丸が描いてあった。綺麗な円でなく、くしゃりと歪んでいてな。それが、わしにはまるで、人形が泣いているように見えたものよ。
 その次の秋に、玩具屋は店を畳み、どこぞへ引っ越してしまった。あの人形がそれからどうなったのか、わしは知らぬ」
 糸でも断ち切るように、風見鶏の話は唐突な終わりを迎えた。しばらく待ってみたが、再び口を開く気配はない。声をかけることすら躊躇われて、私も無言のまま、風読みの側を離れた。昼尚暗い屋根裏部屋を、本物の夕闇が包み込もうとしている。そろそろ、本日の寝床を見つけておこう。上ってきた側とは反対に向かって、私は歩き出した。さて下りようかと雑然とした床を見下ろし、そこで思わず私は息を呑んだ。
 碁盤の目が刻まれた大理石が置かれている。その周囲に、乳白色の駒が転がっていた。女王や騎士を象った……チェスの駒だ。時折煌くような光を放つのは、目に宝石が埋め込まれているからだろうか。チェス駒が散乱した先、両足を投げ出すような姿勢で、木人形が座っていた。ぼろ布のようになった衣服は、明らかにサイズが合っていない。その、あらぬ方を見つめるような目と視線がぶつかった気がして、私は慌てて数歩後ずさった。何故か、見てはならないものを見てしまった気がした。知ってはならないことを知ってしまった気がした。
「なあ、風読みよ」
 動揺を紛らわせようと、私は努めて能天気に呼びかけた。返事はないかと思ったが、意外にもすぐさま気だるそうな声が戻ってきた。
「なんだ?」
「あの……あの、さっきの鼻が伸びる木人形だがな。あの話の結末は、どうなっているんだ?」
「ああ、あれか。あの木人形は、めでたく人間の子どもになってな、末永く幸せに暮らしたそうだ」
「そうか。じゃあ……、じゃあさっきの人形も、どこかで暖かい家族に巡り合って、今頃は辛い思い出なぞ忘れているかもしれんぞ。……いや、そう思おうじゃないか」
「ふん、見た目に似合わず感傷的な奴じゃな。しかし、お前の言うことにも一理あるやもしれん」
 割れた窓から、一陣の風が吹き込む。きいと鈍い音を立てて、風見鶏が私に尾を向けた。
「全ては所詮、御伽話だ……」
 その声音には、私をはっとさせるに充分な陰りが含まれていた。曇ったガラス玉の目から、湿気の凝った水の雫が音もなく零れ落ちる。私にはそれが、風読みの涙のように思えた。



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