「ツイン・タワーに鐘は鳴る」



* * *

   メルギスは、上着のポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「世界の果てを見てきた男の話って、あんたたち知ってる?」
 突然、脈絡のない話を始めたメルギスに、僕とファルは戸惑って顔を見合わせた。僕たちには構わず、メルギスは話を続ける。
「この世界の果てにはね、言葉を話さない人々の村がある。そして、彼らはその村の端にある常緑樹を守っている。その木には、一年中、色とりどりの実がなっていて、その実を食べに真っ白い羽毛の烏がやってくる。村の人々は、言葉を話さない代わりに、白い烏の羽を集めてペンを作り、常緑樹の皮をつかって紙を作り、世界の果てで起こった出来事を、何一つ漏らさずに書き残している。……あたしたちのような仕事をやってる人間の中では、そんな話がまことしやかに伝わってるのよ。その大部分は、面白おかしく細工された作り話だけどね」
 そこで一旦言葉を切り、メルギスは煙草の煙を天井に向かってふぅっと吐き出した。
「でも、その男の話は違った。彼は、ちゃんと証拠の品も持っていたのよ。常緑樹の葉っぱや、白い烏の羽で作ったペン、あたしたちには判読できない文字の記された紙……。いや、驚いたわね。どれもこれも、あたしたちが今までお目にかかったことがないような逸品だった。誰もが、奴の話を信じたわ。こいつは、本当に世界の果てを見てきたんだってね。あたしたちは、奴の持ってきた品物を、最古参の爺さんのところへ持っていった。これは大発見だ、世界の果ての村は、本当にあったんだって、泡を飛ばして力説したわよ。そしたらさあ……」
 二本の指に煙草を挟んで、メルギスはクククッと笑った。
「爺さんは、あたしたちの熱弁を、一言で片付けちまった。こいつは偽物だ。いい出来なのは認めるが、どれもこれも作られたものだってね。後で聞いた話じゃあ、例の世界の果てを見てきた男の正体は、冒険者あがりの細工師だったそうだ。なかなか自分ではお宝を見つけることができなかったもんだから、もともと器用だった手先を活かして転職したってわけ。そいつが、今更どうしてあたしたちに関わってこようとしたのかは知らないけど。でもたぶん、忘れられなかったんだろうね、昔の仕事がさ……」

* * *

「ねえ、何の話なの?」
 私は思わず、焦れて口を挟んだ。メルギスは煙草を再び口元へ持っていき、そして、にやりと笑った。唇の片端だけがつり上がり、意地の悪い表情になる。
「だからさあ。この塔の持ち主も、奴とおんなじ類だったんじゃないかと、あたしは思うわけ」
「……どういう、ことよ?」
 私の強張った顔を見て、メルギスはせせら笑った。
「あたしが調べたところによると、ツイン・タワーを建てた金持ちってのも昔は冒険者だったっていうじゃない? でも、腕が悪くてモノにならなかったもんだから、旅の途中で見つけた珍しい石を売って生計を立ててた。それがたまたま質のいい宝石だったもんだから、奴はたちまち大金持ちになったんでしょ? まったく、運のいい男よねえ。宝石とそこいらの小石の区別もつかなかったくせに、一財産築いちまったんだからさあ」
「何が、言いたいのよ?」
 メルギスは、ふんと鼻を鳴らした。
「奴もまた、昔の夢にすがった惨めな男だったんじゃあないの? 綺麗な石っころを見つける才能だけはあったみたいだからさ、あんな丸屋根を細工するくらい、どうってことなかったんじゃない? これまで、どんな冒険者もここから生きて帰さなかったのは、小細工がばれるのが怖かったためで……」
「……違うっ!」
 耐えかねたように、兄さんが悲鳴じみた声をあげた。
「父さんは、そんな嘘つきじゃないっ!」

* * *

「……引っかかったわね」
 満足そうな呟きに、僕はポカンとメルギスの顔を見つめた。
「やっぱり、あんたたちはただのちびさんじゃなかったのね。ツイン・タワーを造ったのは、あんたたちの父親。だから、この塔を守り続けてきた」
「……どうして、分かったの? 僕たち、そんなことは一言も言わなかったのに」
「最初……、そこのピンク色した奴が出てきた時点で、何かおかしいと思ったのよ。だって、稀代の名宝を守るにしちゃあ、あまりにお粗末じゃない? ま、見た目よりは強そうなことは、認めてあげるけどね」
 そう言って、メルギスはモンスターの頭を撫でた。グルルルル、と嬉しそうに喉を鳴らし、モンスターは猫のようにメルギスの手のひらに頭を擦り付けた。どうやら、褒められてすっかりなついてしまったらしい。
「それに、なんだか訳の分からない呪文を使ってみたり、古代文字が読めたり……。あのね、あんたたちが学校で習ったっていう、あれね、今じゃあ、遺跡でしか見つからないような文字なのよ。そんなもんが、あんたたちみたいな子どもにやすやすと読めるわけないじゃない。だったら、答えは一つしかない」
 メルギスは、静かな目で僕たちを見た。
「あんたたちは、この世の存在じゃない。なんらかの理由で、この塔に繋ぎ止められたまま、どこへも行けずにいる。……そうよね?」
 僕たちのすぐ側までやってきたメルギスは、突然、僕とファルの頭をきゅっと抱き寄せた。
「何十年も、何百年も……。ずっとこうやって、待ってたのね。ずっとふたりきりで。……寂しかったでしょうにね」
 その声は、あまりにも穏やかで、優しかった。ファルが、不意にくしゃくしゃと顔を歪める。伏せた目から、ぽつんと涙が落ちた。
「……頭竜はね、自分の眼鏡を奪われて、とてもとても怒っていたの。父さんが、その眼鏡を使ってプラネタリウムを作ろうとしていることを知って、頭竜はこう言ったわ。そんなに星が好きならば、お前たちを星にしてやろう。星になって、ずっとこの塔に閉じ込められるがいいわ。我が宝物を奪ってまで星を見ようとしたお前たちならば、異存はあるまい?」
「それじゃあ、このプラネタリウムの星は……」
「僕らの家族の……そして、今までにここを訪れた人たちの、魂、だよ。頭竜は、みんなをあの丸屋根に封じ込めてしまったんだ。……永遠にね」

* * *

「頭竜は、私たちに自分の宝物を見張るように命じたの。いつか、ここにやってきて、宝を自分に返しにくる人が現れるまで。もし、眼鏡が頭竜のもとに戻ったら、閉じ込められてしまった人たちも、解き放たれるの。だから、私たちはずっと、ここで待っていたわ。頭竜の思惑に従わなかったたくさんの人たちを、犠牲にしながらね」
「仕方がなかったんだ。僕もファルも……そしてこいつも、そんなことはしたくなかったんだ。でも、他にどうすることもできなかった。もし、頭竜に逆らったら……、今度は僕たちが封じ込められてしまう。そうしたら、もう誰もこの塔の秘密を知ることができない。二度と、みんなを救い出すことはできないんだ。だから、だから僕たちは……」
 堪えきれなくなったように、兄さんがわっと泣き出した。メルギスの上着にしがみついて、私たちは小さな赤ん坊のようにしゃくりあげた。私たちのモンスターも、キュルルルルルル、と悲しげな声をあげた。メルギスは、そんな私たちの頭を、そっと撫でてくれていた。私たちは、真っ赤になった目をあげて、メルギスを見上げた。
「お願い……。頭竜に、この塔の宝を返して」
「みんなを助けて。……お願いだから」
 あらん限りの祈りを込めて、私たちはメルギスの目をじっと見つめた。やがて、メルギスは一瞬目を閉じ、小さく息を吐いた。再び私たちに向けられたその目には、どこか憐れむような色が浮かんでいた。
「頭竜は……、死んだわ。もう七十年…いや、八十年近く前の話だったかしらね。でも、年月なんて、あんたたちには重要じゃないわね。数多の冒険者たちを飲み込んできた怪物も、不死身ではなかったのよ」
 私たちは呆然とした。頭竜が……死んでしまった? それでは、もう手遅れなんだろうか。星になってしまった人たちを、解き放つことはできないのだろうか。
「大丈夫よ。あたしがなんとかしてやるからさ」
 不安げに見上げる私たちに、メルギスは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「任せときなさいって。この道二十五年は伊達じゃないわよ」

* * *

 空中庭園の中央に立ったメルギスは、背中の長剣を抜き、天井をキッと睨み上げた。
「ここが中心ね。頭竜が死んで、もうずいぶん経ってるんだから、その力も弱まってるはずだわ。それならば、なんとか……」
 両足の位置を確かめ、メルギスは長剣を真っ直ぐ天井へと向けた。指先に力がこもるのが、はたから見ていても分かった。
「あんたたちは離れておきなさい。怪我するといけないから」
 ファルが、くすりと笑った。僕にだけ聞えるよう、小さく囁く。
「私たちはもう、怪我のしようもないのにね」
 何度か深呼吸を繰り返した後、メルギスは伏せていた目をカッと見開いた。一度低く腰を落とし、起き上がる反動で一気に長剣を天井へ向けて放り投げる。矢の如く飛んでいった長剣は、丸天井の一番高くなった部分に、音も無く突き刺さった。しばし、沈黙が下りる。僕たちは、息を呑んでメルギスと天井の長剣とを見つめていた。同じく丸天井を見上げるメルギスの目は、先ほどまでの柔らかい表情が嘘のように鋭い。
 静まり返った庭園に、チリン、と小さな音が響いた。長剣の刺さった辺りから、それは聞えてくる。チリン、チリン、と小さな鈴を鳴らすような音をさせながら、長剣を中心に細かなひびが走り始めた。そのひびは瞬く間に丸天井全体に広がり、カラカラと鐘を振るような響きを奏で出した。閉じ込められた星が、目も眩むような明滅を繰り返す。その光は丸天井のひびに流れ込み、庭園を真昼間のような明るさで満たした。
 鐘の音が頂点に達した時、もう目を開けていられないほどの強い光を放ちながら、丸天井は空へ向かって砕け散った。粉々になったかけらは、月の光を反射させながら、どこかへと飛び去っていった。きっと、頭竜の眠る谷へと帰っていったのだろう。ぽっかりと開いた穴の向こうにのぞく本物の星空に、天高く上っていく逆向きの流れ星の群れを、僕は確かに見た気がした。終わった。これで、僕たちの役目は果たされたのだ。
 放物線を描いて、メルギスの長剣が庭園の土に突き刺さった。その刃は、見るも無残に傷付いている。
「あらまあ……。これじゃあもう、使い物にならないわね。……ま、いいか」
 よっ、と掛け声をかけて長剣を引き抜いたメルギスは、庭園の地面に胡座をかいて座りこみ、星空を見上げた。
「見てごらんよ。こういうのを、満天の星空っていうのね。……この中のどこかに、あんたたちの家族や、あたしの同輩がいるんだわ」
 僕たちも、メルギスの側に座り、空を眺めた。この前、本物の星を見たのは、いつのことだっただろう。その記憶は、あまりにも遠い。
「……さあ、今度はあんたたちの番ね」
 そう言ったメルギスの目は、溢れんばかりの慈愛に満ちていた。

* * *

「私たちの……番?」
 ぼんやりと聞き返すと、メルギスは微笑を浮かべ、頷いた。
「そう、あんたたちの番よ。これで、お仕事は終わったんでしょう?」
 メルギスは、私と兄さんを抱き寄せた。優しく言い聞かせるような口調で、メルギスは告げる。
「……父さんと母さんのところに、行きなさい。もう、ふたりきりで寂しい思いをする必要はないんだから」
頭の上から降ってくる声は、とてもとても暖かくて、まるで……。
「……お母さん……」
 兄さんが、そう呟いたような気がした。お母さん。私も小さく声に出してみた。お母さん。なんだか、くすぐったいような響きだった。メルギスの胸の辺りに顔をうずめてみる。その温もりは、とても懐かしくて、とても幸福だ。体がふわふわするような感じ。だんだん、瞼が重くなってくる。
「ゆっくり、お休みなさい。あたしがちゃんと、守ってあげるから」
 その声に安心して、私は目を閉じた。うとうととまどろみながら、私はすぐ側にある兄さんの手を握った。もう、大丈夫。どこか遠くの方から、かすかな歌声が聞えてくる。ああ、あれは子守唄だ。よく、お母さんが歌ってくれた。
 眠りにつく寸前、メルギスの声が聞えた。あんた、ひとりっきりになっちゃったわねえ。どう? あたしと一緒に来ない? あんた、見た目の割に役に立ちそうだしさ。答えるように、グルルルル、と嬉しそうな鳴き声があがる。私は、目を閉じたまま微笑んだ。そう、お前ももう大丈夫ね。この人と一緒なら、きっと寂しい思いはしなくてすむわ。
「……あら、笑ってるわ。いい夢でも見てるのかしらねえ」
 ツイン・タワーを知っているかしら? 呪われた宝物と悲しい歴史が眠る、巨大な塔。けれど、その伝説はもう、終わりを告げる。

【THE END】




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