「ワタゲノヒトビト」 ![]() ![]() ![]() ![]() 日和のセーラー服は冬物だ。僕が彼女と出会った頃は、きんと空気が冷え切った季節だったから、あまり気にしていなかったけれど、夏はけっこう暑いんじゃないだろうか。本人はいたって平気そうな顔をしているようだけれど……。 「ああ、暑い!」 突然、両手をぶんと振り上げて雄叫びを上げる日和。あ、やっぱり暑かったんだ。 「暑い! 暑い暑い暑い!」 ぶんぶんと腕を振り回す日和の姿に、僕らの足元で昼寝をしていた野良猫がびくっと目を覚ました。よっぽど怖かったのだろう、そのまましゅるりと逃げていってしまう。ごめんよ、せっかくの昼寝を邪魔して。 「ちょっとなによこの暑さは!」 そりゃあ、夏だもん。 「どうして夏は暑くなくちゃいけないのよ。 あたしは暑いの嫌いなの! まったく、早く冬にならないかなあ、秋はすっとばしてさ」 日和は、夏が嫌いらしい。暑くて暑くて、自分の体がアイスクリームみたいに溶けてなくなりそうな気がするからだそうだ。だから、よっぽど冬の方がいいと言う。だけど、僕は冬が嫌いだ。もっと正確に言うと、大っ嫌いだ。理由は、説明すると長くなるので、とりあえず省略。 「ああ、もう! なんとかしなさいよリュック犬! あんた、血統書付きなんでしょ! お天道様に血統書を突きつけてさ、こう、この血統書が目に入らぬか! って」 このお方をどなたと心得る、恐れ多くも天然記念物の柴犬様であるぞ……って、ああ、なんだか自分で言っててバカらしくなってきた……。 「なによ、相変わらずノリが悪いわね」 そういう問題じゃないと思う。 僕らは、遊園地にいる。遊園地といっても、一回転するのに一分もかからなさそうな観覧車や、やたら目つきの悪い回転木馬や、ちっちゃい子の漕ぐ三輪車の方がスピード感があるであろうジェットコースターや、要するにそこはかとなくさびれた空気の漂う場所である。 「それにしても、パッとしないとこだわねえ。あんた、なんでこんなとこに来ようだなんて思ったのよ?」 片手をぱたぱたとうちわ代わりに振りながら日和が言う。念のために言っておきたいのだが、そもそもここに来ようと言い出したのは、日和であって僕ではない。まあ、そんな真っ当なことを主張しても無駄なのはこれまでの彼女との付き合いの中で身に沁みているので、特に異論は唱えない。馬耳東風、というやつだな、うん。 「そうだ、ソフトクリームでも食べようか?」 僕の返事も待たず、日和は座っていたベンチから勢いよく立ち上がった。ソフトクリームを売るワゴンは、この狭い遊園地の中でも一番奥まった場所にあった。首から紐でぶら下げたがま口を引っ張り出そうとしながら、日和はふとぴたりと動きを止めた。 「ねえ、リュック犬」 彼女は、つとめて落ち着いた声を出そうとしたらしかったが、その底にある楽しげな響きは隠し切れなかった。なにか、とっておきのアイディアがひらめいた時の口調だ。しかも、その思いつきは往々にして僕にとってはまるでありがたくない結果を招くのだけれど。 「ねえ、聞いてる?」 はいはい、聞いてますよ。で、なに? 「あのさ、ソフトクリームより涼しくなりそうなものを見つけたんだけど」 言いつつ、日和は僕の入った背中のリュックを胸に抱え直した。彼女が得意げに指差す先には、「お化け屋敷」の看板が……。 建物の中は、しんと静まり返っていた。お化け屋敷にありがちな、ひゅーどろどろ、といった効果音も聞こえない。ねえ、日和。やっぱりここ、もうやってないんじゃないの? 「そうかもね。チケット売り場も無人だったし。ほら、あっちこっちにくもの巣がはってる」 じゃあ、帰ろうよ。きっと、お化けだって出てこないよ? 咳き込むようにそう提案すると、日和は僕の顔を覗き込み、ふうん? と意味ありげな笑みを浮かべた。な、なんだよその笑顔は? 「あんた、ひょっとして怖いんじゃないの?」 ま、まさか。ぼ、僕はそんな臆病者じゃないぞ。 「じゃ、先へ進みましょ。文句はないわね? もしかしたら、どこかに昔の仕掛けでも残ってるかもしれないじゃない。お化けの衣装とか、はりぼての生首とかさ」 「そういうことなら、ご期待に沿えそうもないけど」 突然、声をかけられて、僕はあやうくリュックから飛び出しそうになった。僕らの前に立っていたのは、たぶん日和と同じくらいの年頃の男の子だった。 「あら、こんにちは」 日和は、実に平然とした口調で挨拶する。 「ねえ、このお化け屋敷、もうやってないの? せっかく涼みに来たのにさ」 「確かに、お化け屋敷自体はずいぶん前から閉まったままだけどね」 彼はそう言って、面白そうに目を細めた。どこか、人の悪そうな笑顔だった。何か、企んでいそうな……。 「でも、僕がいる」 不思議な言葉だった。僕は何気なく彼の足元へ目をやって……そして凍りついた。彼の膝から下には、なにもなかった。 「じゃあ、あなたはここに住み着いてるわけね」 僕らはお化け屋敷の最深部、墓場を模した広場に並んで腰をおろしていた。 「そう。だって、ここは僕みたいなのが住むにはちょうどいい場所だろ? お客が来なくなって、ずいぶんつまらなくなったけどさ、今でも時々肝試しにくる奴らがいるから、まあ退屈しないしね」 君たちみたいにさ。そう言って、彼はいかにも可笑しそうに笑った。 「ここのお化け屋敷って、閉まってからのほうが有名になっただろ? 本物が出るっていってさ。その本物が、僕だってわけ」 「そうなの? あたしたちは、この町に来てまだ間もないから知らなかったけど……」 へえ、と彼はさっきと同じように目を細めた。 「夏休みの旅行かなにか?」 「ううん。休みなんて関係なく、旅の途中なの。あてもなく、ふらふらと」 「放浪の旅、ってわけ? 根無し草みたいに」 彼の言葉に、日和はちょっと顔をしかめてみせた。 「根無し草なんて言うと、目的もなくふわふわしてるみたいに聞こえるわね。あたしたちはそうじゃないわ。確かにあてはないけど、目的はちゃんとあるもの。あたしたちはどっちかっていうと……そうね、タンポポの綿毛みたいなものかな」 「じゃあ、“綿毛のひと”ってわけだ」 ワタゲノヒト、と口の中でぶつぶつと繰り返し、そして日和はにっこりした。どうやら、この言い方が気に入ったらしい。 「じゃあ、綿毛は綿毛らしく、また風に乗ることにしましょうか」 人差し指をぴんと立て、うんいい風が吹いてきてるわなどといい加減なことを言いながら、日和は満足そうに何度も頷いている。 「そうだ、ひとついいこと教えてあげるわ」 立ち上がった日和は、ふと思い出したように男の子の方を振り返った。 「今時、足のない幽霊なんて時代遅れよ。今最先端の流行は足付きよ、足付き。今度会う時までに勉強しておきなさいよ。あたしを見習ってさ」 じゃあね、と手を振って日和は涼しい顔で歩き出す。背負われた僕は、ぽかんと彼女を見送る彼を見て、ちょっと気の毒になった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ←戻る 進む→ 贈答品へ 入り口へ |