「バベルの塵」 ![]() ![]() ![]() ![]() ある哀れな画家の話をしよう。彼がこの街で暮らしていたのは、今から半世紀ほど前、まだこの街に瓦斯燈が灯り、石畳を馬車が駆けていた時代のことだ。 画家の名については語らずにおこうと思う。だが、例え披露したところで知る者など皆無であろう人物である。つまりは、どちらでも同じことなのだ。 かといって、彼が注目に値しない才能であったというわけでは決してない、と敢えて言っておきたい。ただ、彼は「哀れな」画家であった。そして、その不運の元凶こそが、「塔」だったのである。この街の中心部、出鱈目に入り組んだ住宅群とは一線を画し、爆心地のような殺風景さを晒したままの広場に聳える巨大な建造物。その威容に魅せられた画家は、昼も夜もなく、季節にも目をくれず、塔の完璧な姿を画布に封じ込めるべく、筆を握り続けた。彼と塔との蜜月は、およそ三年ばかり続いたという。 だが、ある時彼は気付いてしまったのだ。地上からはもう伺うことすらできない塔の最上部では、今も建設作業が続けられている。彼が今目にしている塔と、画布に記録された塔とは、既に異なる姿をしているのだ。そればかりか、彼が絵筆に絵の具をつけようと目を離した隙にさえ、塔は僅かばかり……例えば金具一個分、あるいは塗料一刷毛分……変化している。彼が魂を込めて描き出した塔は、一瞬ごと過去の像となっていくのだ。 打ちひしがれた彼は、絵を捨てた。残されたのは、絵の具のしみひとつなくなった小さな部屋と、中央部からざっくり切り裂かれたまっさらの画布が一枚、それだけだった。膨大な数に達していたであろう塔の肖像画はひとつも見当たらず、画家本人の姿も忽然と街から消え失せていた。彼が旅立った日、塔のある広場では、遥か上空から花が一輪また一輪と降り注ぐ、奇跡のような光景が見られたという。私が、彼の画家としての人生について語り得るのは、これだけだ。まだ、塔と人とが親密な絆を築いていた、懐かしき時代の出来事である。 頭上に穿たれた窓から、紙切れが一枚舞い込んできた。深緑の地に銀文字の筆記体、吸い込むと鼻の奥から脳天へ抜けるような清涼感のある香りは、香草入り噛み煙草特有のものだ。夜勤の作業員が、眠気覚ましに口にしたものの包み紙だろう。嘆かわしいことだ、と私は眉を顰める。かつて、塔の建築現場は神聖な場所であった。煙草を噛みつつ仕事をするような者はいなかったはずである。作業現場の規律も、随分と甘くなったものだ。辛うじて手向け花の伝統は受け継がれているが、若い作業員たちはこの慈悲深き儀式をも、迷信か、良くて験担ぎのように捉えているらしい。これも、時代の流れというものか。 私は包み紙を丁寧に伸ばし、しばし考えてから小さな鳥の形に折り始めた。指先を動かしつつ、頭の中では、香草入り紙煙草、女性名詞、と無意識に分類している。一線を退いても尚、かつての習慣はそう簡単に抜けないようだ。 普通の噛み煙草は男性名詞だが、香草入りのものは特例で女性名詞として扱われる。世間一般ではこのような細かい分類はすっかり混同されているようだが、私のような職業に就いていたものには厳密な線引きをする癖がついてしまっている。逆に言えば、あのような生業だったため、煩雑な区分けを逐一記憶しているのだと言えるのかもしれない。 私は、辞典編纂者として職を得ていた。配属されていたのは、新たに生まれた名詞を男性名詞か女性名詞かに分ける部門である。来る日も来る日も、泡のように際限なく発生する言葉を二つの箱に投げ入れ続け、気付けば黒々としていた髪は九割方白くなり、鏡に映る顔には深い皺が刻まれていた。私は、年老いたのである。 職を辞した私は、数十年の歳月を経て、生まれ故郷の街へと帰ってきた。この帰還には、多分に感傷的な意味が含まれている。私を老人へと変えた月日はこの街にも等しく流れ、若かりし日の私を心から魅了した存在が、今や息絶えようとしていた。その最期を、私は見届けたかったのだ。 私が暮らすのは、「鉛直球」と呼ばれる球体の内部だ。この、小部屋ほどの大きさがある鉄製の球体は、塔の最上部から頑丈な鎖で吊るされ、丁度全体の半分あたりの位置に静止している。塔の全長が伸びれば、当然のことながら鉛直球も移動するから、私が最初に入った頃と比べれば、窓から見える景色は心持変化している。 鉛直球は完全な球形ではなく、底面にはちょうど人ひとりが横になれる広さの平らな床がある。湾曲した壁面には、書棚やら書き物机やら、生活には不自由しない程度の調度が設えてあるが、これらは何も居住者が快適な暮らしを送るために用意されたものではない。肝心なのは、その「重量」である。 私は、折り上げた小鳥の翼を整えると、側面の小窓からそれを勢い良く飛ばした。塔の均衡を保つためには、例え紙切れ一枚のようなどんなに些細なものであっても、不必要な質量は排除されなければならない。些かまじないめいてもいるが、それが鉛直球の不文律である。小鳥は、塔を取り囲むように吹く不規則な風にあおられ不恰好な舞踏を披露した後、ゆるやかに下降していった。私は小窓の側を離れると、今度は頭上の窓を見上げた。高度の高い空気は、老体にはいささか厳しい尖った冷たさを有しているが、この窓は一日中開け放しておくことにしている。多少の寒さを覚悟しても尚、心待ちにしているものが、ここから降りてくるからだ。しかし、今回はどうやら期待はずれのようであった。 どういうわけだか、いくら精密に図面を引き直しても、何度複雑な計算式を洗い直しても、この塔はほんの僅かずつ鉛直線からずれてしまうのだという。右に傾いでいくのだという説もあれば、逆に左側へ傾いているのだと唱える学者もいる。つまりは、正確に観測できないほどの歪みであるわけだが、放っておけばいずれ致命的な誤差とならないとも限らない。そこで編み出されたのが、鉛直球だった。鉄球を塔の中心部に吊るし、微妙にその重みを調整することで安定を支えるのだ。内部には「番人」と呼ばれる人間が常駐し、刻々と変化する必要重量の確保に努めていた。新しいものを運び込むよう要請することもあれば、既存のものを捨て去る場合もあった。時には、番人自身の食事量まで制限された。いわば、私を含めた鉛直球の番人たちは、この塔の生きた重石だったのである。我々は塔と共に在り、塔と共に生きた。かつて我ら番人は、重力を自在に操る魔術師とも、神の心臓を司る医師とも呼ばれた。塔の生命を脅かす要素となり得るものがあるとすれば、彼らをおいて他にはいない、とさえ言わしめたものだ。思えば、番人たちにとっても、そして塔自身にとっても、それが最も輝かしき時代だったのだろう。 風の噂に聞くところによれば、鉛直球に暮らす私のことを「塔の虜囚」と揶揄する者もいるらしい。しかし、私は塔に囚われているわけではない。遥か頭上にある作業現場の喧騒は、球体を繋ぐ鎖を通し、振動として伝わってくる。日の高い間、工具や鉄骨や金具の立てる騒音は、まるで巨大な獣が歩き回るかのように私の小さな世界を揺さぶる。しかし、一日の作業も山場を越えた夜更けに響く控えめな物音は、胎内で聞く鼓動のように安らかで心地よい。塔の密やかな呼吸に耳を澄ましながら、私もやがて眠りに就く。そして、同じ静謐を味わっていただろう歴代の番人たちに、遠く思いを馳せるのだった。 小窓のすぐ脇を、今度は皮手袋の片方が落下していくのが見えた。最近の作業者たちは、どうにも不注意らしい。私の退屈しのぎという点では歓迎しないわけでもないが、塔にとっては決して有難いことではあるまい。 右手用手袋、恐らくは仔牛革、男性名詞、と口の中で呟いていると、一陣の刺すような風と共に、薄黄色の花弁が幾重にも重なった一輪の花が落ちてきた。今度は、運が向いていたらしい。私は、知らず口元が綻ぶの感じた。 雲にも届きそうな高所で建築に携わる作業員たちにとって、最も恐ろしいのは「落下」である。理由は、説明するまでもないだろう。それは即ち、死を意味するからだ。だからこそ、彼らはどんなものであれ作業現場から落下させることのないよう、極度に神経を使う。しかし、どれほど気を付けていても、時には手元を誤り、あるいは塔周辺の複雑な気流にあおられ、重力に逆らいきれず墜落していく物々は絶えることがない。そんな時、作業員たちは一時手を休め、自らの身代わりとも言うべき落下物の冥福を祈るべく一輪の花を手向けてきたのだ。 艶やかな花弁、芳しい香り。手向け花の美しさは、今も昔も変わらない。私は拾い上げたそれを薄紙に丁寧に包み、本棚から抜き出した書物の頁にこっそりと挟み込んだ。こうして密かに蒐集した花々は、もうかなりの数にのぼることだろう。鉛直球の規律に反することは、重々承知している。しかし、私はそれをどうしても手放すことができなかったのだ。手向け花は、若き日のあまりにも鮮やかな記憶を否応なく呼び覚ます。あの日、塔の広場を埋め尽くさんばかりに舞い降りる花々を踏みしだきながら、私はこの街を去ったのだ。そして五十年の月日は流れ、今またこうして塔と向き合っている。かつて私を魅了したこの大いなる存在を、看取ろうとしている。 塔の歴史は、静かに結末へと向かっていた。雨粒が岩を穿つような辛抱強い速度で、しかし着実に、この巨大な建造物は崩壊へと突き進みつつある。 何かの予兆のように、鉛直球に降る手向け花の数は、日毎に増え続けていた。今ではもう、本棚にみっしりと詰まった書物を無作為に抜き出してみても、全てに私が挟み込んだ花の姿が見られるほどだ。もしかすると、花々は塔そのものに捧げられているのかもしれない。 鉛直線からのずれは、もはや番人の力では補いきれないほどに広がりつつあった。そこに、私の小さな反逆が手を貸しているのか、取るに足らぬ番人の力など及ばぬところで塔の命が終わりを迎えようとしているのか、それは分からない。いつか塔が力尽きた時、私の密かな蒐集物も明るみに引き出されることだろう。その時、最後の番人が残した秘密を目にした人々は、そこになにかしらの意味を読み取ってくれるだろうか。それとも、退屈な毎日に倦んだ老人の奇矯だと、一笑に附してしまうだろうか。いずれにせよ、私の望みはささやかなものだ。丹精込めて保管した花々に、ほんの一時でも目を留める人が現れてくれれば、それで良い。 そう遠くない内に、建設作業自体が終結する。塔はようやく、いつ果てるともしれない成長から解放されるのだ。そして私はひとり、役目を終えた鉛直球の中に留まることになる。その時が来たならば、私は塔に親しく「貴女」と呼びかけることだろう。塔は本来男性名詞であるが、番人たちを優しく包み込み続けたこの偉大なる建造物には、母の名称が相応しい。しかし、私が彼女と言葉を交わす日がやってくるのは、もうしばらく先のことだ。 今はまだ、規則正しい塔の拍動が途絶えることなく聞こえてくる。その静かながら力強い音を聞きながら、私は目を閉じた。終焉が近いというのに、不思議なほど恐怖も愛惜も感じなかった。画布に向かっていさえいれば満ち足りていたあの頃でさえ、これほどの幸福感は味わったことがないような気がする。 私は、絵筆を持つ形に握った右手を空中で軽く動かしてみる。すると、目の前の暗闇にこれまで見たことがないほど神々しい塔の姿が立ち現れた。ああ、ずっとここにいたのだ、と私は思う。追い求めた完璧なる塔は、いつも私の心の中に描かれていたのである。絵筆も絵の具も、必要ではなかったのだ。一心に情熱を傾けたあの頃が、愛おしくないといえば嘘になる。しかし、迂遠な回り道を経た末に長い年月が私をここへと導いたのだとしたら、年を取るということも、さほど悪くはない。 眠りに落ちる前、柔らかなまどろみの中で私は、瞼の裏に浮かぶ塔が花一輪の重み分だけ傾ぐ様を夢想する。 ![]() ![]() ![]() ![]() あとがき→ 創作品へ 入り口へ |